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THE 桃大人(MOMODAIJIN)

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個性溢れる桃大生の活躍や魅力を、在学生から卒業生まで多くの学生にインタビューを行い、本人たちの生の声で紹介します!
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#経営・起業

訪れたチャンスは逃さず、チャレンジし続ける【株式会社楽天野球団】

訪れたチャンスは逃さず、チャレンジし続ける【株式会社楽天野球団】

桃大経営学部を卒業後、楽天株式会社(以下、楽天)に就職。20代のうちに多くの経営者と共に課題解決に取り組む。

2007年に新卒で楽天に就職してから12年ほどは、楽天市場におけるEC(出店店舗)コンサルティング業務を担当していました。最初の配属は東京だったのですが、たまたま私の側を通りかかった関西の本部長が私の関西弁を聞いて、「関西出身?大阪どう?」と。「ぜひ、お願いいたします!」と会話を交わした

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アジア各国での電動二輪、三輪の導入【テラモーターズ株式会社】

アジア各国での電動二輪、三輪の導入【テラモーターズ株式会社】

アジアにおける電動二輪、三輪車のビジネスチャンス

インド、ベトナム、バングラデシュ… 。アジアの国々で、軽快に駆けぬけてゆく、電動の二輪スクーターや三輪タクシー。彼らにとって国民的な移動手段であるこの乗り物の利便性、経済性を、日本の技術が支えていることをご存じだろうか。テラモーターズ株式会社。2010年に電動自動車メーカーとして設立され、瞬く間に日本国内トップシェアを獲得しながらも、つねに海外市

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原点は、「困っている人を喜ばせる」こと。日本初のリモートユーザーテストサービス【株式会社プロジェクトカンパニー】

原点は、「困っている人を喜ばせる」こと。日本初のリモートユーザーテストサービス【株式会社プロジェクトカンパニー】

アプリやWEBサービスの使い勝手、改善点などを洗い出す際に行われるユーザーテスト。従来は人を集めてその場でテストしてもらう直接的な方法で行われるが、費用もかかり、場所や時間な どの制約がつくなど手間のかかるものだった。桃山学院大学 国際教養学部の卒業生である平石大祐は、それをオンライン上で行うシステムを開発し、テストユーザーと開発会社の双方にプラスの効果を生み出した。

アンケートやデータでは測れ

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「糖質オフシリーズ」など くら寿司の様々なヒット商品を生み出す開発責任者【くら寿司株式会社】

「糖質オフシリーズ」など くら寿司の様々なヒット商品を生み出す開発責任者【くら寿司株式会社】

健康によいもの、家族に食べさせたいものを求めて
ユニークでおいしいメニューを続々と開発し、つねに注目を集めている「くら寿司」。日本でその名を知らない人はいないといっても過言ではないだろう。多彩な商品の開発を担当している製造本部長は、桃大卒業生の久宗裕行。寿司のシャリを野菜に変えるという驚きの人気メニューも、彼が開発の責任者として手がけた商品のひとつだ。
くら寿司は、健康によいもの、家族に食べさせた

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大阪なす、大阪きゅうり、トマトなどを生産。生産者として食を支える。経営者として農業の明日を拓く。

大阪なす、大阪きゅうり、トマトなどを生産。生産者として食を支える。経営者として農業の明日を拓く。

家業を継ぐことに疑問を感じ、桃大へ 「家が農園を経営しているから、自分が跡継ぎになるのは当然。そんな固定観念がとても嫌でした」。そう語る古川だが、決して農業そのものが嫌いだったわけではない。子どもの頃から農作業を手伝い、土と野菜とふれあいながら育ってきた彼は、むしろ農業への愛情さえ抱いていた。しかし高校卒業後に家業を継ぐことをよしとせず、桃大へと進学した。「経営学部を選んだのは、心のどこかで農園経

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登校拒否児だった中学生から大学で学んだこと~主婦から賃貸マンションの大家さんを救う満室コンサルタントになるまで~

登校拒否児だった中学生から大学で学んだこと~主婦から賃貸マンションの大家さんを救う満室コンサルタントになるまで~

 父は不動産会社を経営していましたが、私が中学1年生のときに交通事故にあい、多額の負債を抱えたまま倒産。それをきっかけに私は失語症に陥り不登校に。父はその後無事復帰して会社を立て直すことができたので、私も徐々に回復し、大学へ行くことができました。このことを機に「不動産会社には絶対に入らない!」と思っていたものの、「宅建を取っておくとためになる」と父にいわれたことで結婚後に猛勉強して取得し、不動産業

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アミューズメント業界をリードするラウンドワンの代表取締役社長【株式会社ラウンドワン】

アミューズメント業界をリードするラウンドワンの代表取締役社長【株式会社ラウンドワン】

ラウンドワンの原点が、桃大でのキャンパスライフにあった。
 在学中は、人を集めて遊ぶことに夢中になっていました。他大学の学生たちも巻き込んでサークルを立ち上げ、当時ブームだったスキーツアーを実施したり、桃山祭では学内にディスコ(ダンス施設)を作って盛り上がったりしたことを覚えています。
 より多くの大学生たちに参加してもらうために、「何をすれば人を集められるのか」を常に考えていました。今思えば当時

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