夢だったアナウンサーに内定 / 青森でスポーツ実況を目指す
テレビのアナウンサーは幅広い教養、臨機応変な対応力を磨きながら情報をわかりやすく伝える、言葉のプロです。中でも放送局の正社員として働く「局アナ」は志望者が多く、狭き門の職業とされています。
社会学部社会学科4年次の永井啓登さんは中学時代に志したアナウンサーの道に、青森県の「青森放送」で踏み出すことになりました。狭き門の内定を獲得した永井さんに、難関突破までの歩みを聞きました。
◇ アナウンサーとしてサッカーに関わりたい
広島市出身で中学3年までサッカー一筋でしたが、練習中にゴールキーパーと激突し、膝蓋骨(膝の皿)を割るけがをしてしまいました。医師からは「選手としてサッカーを続けるのは無理」と言い渡され、悔しくて大泣きしたことを覚えています。何をしたらいいのかわからなくなり、サッカーと距離を置いていた時、監督から「選手ではなくてもサッカーと関わる方法はある」と助言され、トレーナーや通訳、(戦術の)分析など、いろいろ考えました。
ふと、小学6年で出場した県大会決勝の実況放送で、「永井がいいクロスを上げる」とアナウンスしてもらって嬉しかったことを思い出し、サッカーの実況放送を担当するアナウンサーが目標になりました。
◇ 大学入試の挫折を跳ね返す
メディアに卒業生を多数送り込んでいる「自主マスコミ講座」が有名な東京の大学が第一志望でしたが、不合格でした。他の大学は受験しておらず、困っていた時、通っていた進学塾の先生が「アナウンサーを目指せる大学がある」と、メディアデザインモデルのある桃大社会学部を勧めてくれました。
桃大に入学したものの、東京の有名大学出身者が多いアナウンサーの道は難しいな、と半ばあきらめ気味でした。そんな時、中学時代のサッカー部のコーチが電話をくれて、「アナウンサーになりたい、と言ってたけど、どうなってる?」と聞かれました。「多分難しいです」と弱気な返事をしたら、「お前の気持ちはその程度だったんか」と厳しく指摘して電話を切られました。これでスイッチが入りました。「そこまで気にかけてくれていたのか。絶対やったる」と。
全国のアナウンサー100人にSNSを通じたメッセージ(DM)で「有名大学ではない僕でもアナウンサーになれますか」と質問してみました。すると、3人の方から返事があり「学歴なんか関係ない。なりたいという強い気持ちがあればアナウンサーになれる」と励ましてくれ、大阪市内のアナウンス学校に通うなど、エンジン全開で準備に取り組みました。
◇ 全国62社にエントリー
3年生になる直前の昨年3月からテレビ局のインターンが始まりました。最初の東京のキー局は選考から漏れてしまいましたが、別のキー局のインターンには進むことができ、自信になりました。北は北海道から南は沖縄まで、全国の62の放送局のインターンシップ、本採用試験に挑戦する日々が1年余り続きました。
テレビ局の採用面接では、スポーツの架空実況や原稿読み、天気予報、フリートークなど様々な能力を試されます。アナウンス学校ではそれらの対策や、アナウンサーらしい声をつくるトレーニングなどに取り組みました。一定の声を1分30秒出し続ける「長音」というトレーニングは最初28秒しか続かず、元アナウンサーの講師から「こりゃあダメだ」と呆れられましたが、諦めずに努力し出来るようになりました。気づいたら、声がまったく変わりアナウンサーらしくなったと思います。
書類選考を突破するため、先輩アナウンサーたちのプロフィールをノートに書き出し、趣味・特技などをどう書くかも研究しました。私は趣味が「トイレ掃除」と「(関西を中心とした)秘境巡り」、特技は「リフティングしながら服を脱ぐ」にしました。トイレ掃除は小学4年の時、素手でトイレを磨かせる先生の下で最初は嫌だったトイレ掃除が好きになったんです。面接では必ず質問され、話が弾みました。今でも毎日トイレ掃除するので私の部屋のトイレはピカピカですよ。
◇ ゼミの学びとキャリアセンターのサポート
ゼミでは「若者のテレビ離れ」を検証する調査に取り組みました。グーグルフォームを使ってアンケート調査を行い、若者のテレビの視聴時間や視聴方法などを分析しました。その結果、かつてはテレビをつけっ放しにしてダラダラと観ていたのが、今の若者は見たい番組がある時だけテレビのスイッチを入れる、見逃し配信などのネットサービス経由で視聴するなど、効率の良い観方をしていることが確認できました。私は「若者はテレビ離れしているのではなく、効率的な視聴をしている」と結論し、「Z世代にとってのテレビの存在意義」というレポートにまとめました。自分が目指すテレビの世界に対する視点を確立できたと思います。
個別担当制で一人の職員がずっとサポートしてくれるキャリアセンターにもお世話になりました。「アナウンサーになれなかったらどうしよう」と正直に不安を打ち明けたら、「いろんな仕事があるから、大丈夫。もしアナウンサーがダメだったらいっしょに考えよう」と言っていただいて気が楽になり、アナウンサー就活に全力投球することが出来ました。
◇ 県民に愛されるアナウンサーに
最終面接に呼ばれた男性アナウンサー候補は私だけで、5月8日に内々定をいただきました。
青森は縁もゆかりもない土地です。寒さだけは少し心配ですが、それ以外は楽しみなことばかりです。青森放送は日本テレビ系列なので高校サッカーの中継ができます。強豪の青森山田高校の実況をするのが楽しみです。スポーツアナウンサーとして一日も早くひとり立ちできるよう、テレビの音を消して実況の練習をしています。
内定後、青森放送の社長からは「県民に愛される人でありなさい」と言われました。
局アナとしてニュースやレポーターなどの仕事もありますので、ニュースや流行を毎日チェックしています。アナウンサーは一生勉強だと考え、努力を続けていく決意です。
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