桃山でつかんだ国際交流の楽しさ/教員として高校生に伝える
進学や就職で理想の進路を歩むことが出来る人は少数派かもしれません。しかしたまたま進んだ「場」での出会いが、大きなチャンスをもたらし人生を切り開くきっかけになることもあります。桃山学院大学は様々な学生にきっかけとチャンスをもたらす環境と、挑戦を後押しする教職員がそろっています。国際教養学部の一期生で現在、兵庫県神戸市の私立育英高校の英語教諭を務めている村本晶さん(35)は桃大入学直後の留学生との出会いから海外留学に挑戦、ハワイでの就職と音楽活動など多彩な経験を積み、人生の助走路にいる高校生に挑戦のすばらしさを伝えています。
「桃大で自分のビジョンが見つかりました。僕の人生の始まりは桃大です」と話す村本さんの歩みを聞きました。
◇ 留学生のキツイ一言「女性に年齢をきくのは失礼です」
スポーツ推薦で進学した大阪府内の私立高校では柔道漬けの生活を送っていました。全国大会を目指し、高校3年の時には大阪府2位の成績を収めましたが、残念ながら目標としていた全国大会には出場できず、スポーツ推薦で大学進学するという計画は頓挫しました。それまでほとんど勉強してこなかったので、浪人生活を経て桃大に入学しました。国際的なことを学びたいと考えて国際教養学部を選びましたが、実は桃大は第一志望ではなかったのです。
入学直後、学生食堂の券売機の前できれいな外国人の女性が迷っているところに出くわしました。「これは行くしかない!」と勇気を振り絞って「How are you?(調子はいかがですか)」と声を掛けようとましたが、なぜか「How old are you?(あなたは何歳ですか)」と言ってしまいました。その女性はイタリア人でしたが、日本語で「初対面の女性に年齢をきくのは失礼です」と言われてしまいました。初めて味わうカルチャーショックでしたが、外国人とコミュニケーションができるようになりたいと、国際交流のサークルに入りました。
◇ 先生の「とにかくやってみなさい」に背を押され留学
まだ拙い英語でしたが、留学生と交流するパーティーなどの活動に積極的に参加しました。また、留学生をサポートする桃大の「バディ制度」にも挑戦し、アメリカなどから来日していた交換留学生と仲良くなりました。いっしょに旅行したりして、英語を使って交流することが楽しくなりました。自分も彼らの国を訪れてみたいと思い、特に当時親しかったアメリカ人留学生の出身大学に留学したいと、国際センターに相談したところ「いまの英語力では無理だ」と言われてしまいました。反骨心から留学を指導されていた先生に相談し、「とにかくやってみなさい」と励まされ、TOEFLのクラスに入って英語力の向上を目指しました。最初40点だったスコアは60点まで上がり、国際センターの方が探してくれたハワイパシフィック大学に4年次で留学しました。
◇ 「ラップ」でコミュニケーション
最初の語学クラスの成績は「強制帰国」を心配するレベルでしたが、スピーキングだけは日本以外からの留学生よりも高得点でした。積極的にコミュニケーションする姿勢が評価され、「俺の英語は通用する」と自信をつかみました。桃大の卒業単位はほぼ取り終えていたので、ハワイではピアノ、ボーカル、演劇をはじめとする様々な科目を選択しました。演劇はすごく楽しくて人前で話す自信になりましたし、生まれて初めて作曲にも挑戦しました。
ハワイにわたって間もない2011年3月11日、東日本大震災が起きました。テレビで伝えられる津波の被害に、「自分の国がボロボロになっている」と衝撃を受けました。中学時代から続けているラップで日本を応援する歌「Pray for Japan(日本への祈り)」を一番は英語、二番は日本語で作詞作曲し、大学のイベントなどで演奏して募金を呼びかけました。反響が大きく、地元の新聞にも取り上げられ、ラジオ局やジャズバーにも呼ばれて歌いました。その後の留学中、毎週ジャズバーに出演し、病院の高齢者向けにライブをしたりと、桃大の国際交流サークルで始めた英語コミュニケーションが、ハワイで大きく花開きました。
◇ ハワイで就職も
桃大卒業後は、教員免許を取得し、母校の高校で1年間教師をしましたが、どうしてもハワイで働きたいという気持ちが抑えられず、ハワイのコミュニティカレッジ(1年半)の観光関連の学科に再留学しました。現地の大学を卒業すれば、1年間の労働が許可されるのです。実際にツアーガイドをする実践的な授業が中心で、私はラップでパイナップルがハワイのホスピタリティ、おもてなしの気持ちのシンボルであることを紹介しました。これが大うけで、ワイキキの路上でパフォーマンスして「パイナップルマン」と呼ばれていました。コミュニケーション力が評価され、首席の卒業生総代として卒業できました。桃大に浪人して入り、「自分は劣等生」と思っていた私が総代に選ばれたことは、かけがいのない成功体験になりました。
その後、1年間はハワイのデジタルマーケティングの会社で働き、ホテルやレストランをネットで日本人観光客にPRする仕事をしました。レストランで試食して記事を書いたりイベントを取材する楽しい仕事で、午後5時以降はライブハウスでラップを歌ったりと、とても充実していました。現地のミュージシャンと友だちになり、有名ライブハウスの立ち上げにかかわったりもしました。
◇ 教師としてラッパーとして
帰国後はハワイでの経験も生かし、ウェディングプランナーとして大阪と神戸で3年間働きました。もう一度ハワイで働く夢はコロナ禍の影響で難しくなり、留学の良さ、英語を学ぶことの楽しさを若者に伝えることが自分の役割だろうと考え、高校の教員に復帰しました。現在は育英高校の3年生の担任として、また、「国際協働委員会」の一員として、高校生の留学などの国際化プログラムに取り組んでいます。
ラッパーとしての活動も続けていて、「ラップで覚える英語」、「不規則動詞をラップで覚えましょう」などの動画が人気で、フォロワーが6万人を超えました。行政からの依頼で「ラップで対策・悪質商法」、地域の魅力を伝える「有馬温泉ラップ」、「鳥取ワーケーション」などの動画にも出演しています。これらの活動がメディアからも注目され、NHKの番組に出演することもありました。
桃大には学生の頑張りが報われる風土があります。私は桃大での留学生との出会い、国際交流で視野が広がり、今があります。また、勉強が苦手な子の気持ちもわかるので、高校生に「好きなことに挑戦することの楽しさ」を伝えることに力を入れていくつもりです。