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日本代表であり続けるために。

福岡から桃大へ。
「サッカーをやるために来た」

福岡県で生まれ育ち、小学生の頃からサッカー一筋。高校ではインターハイにも出場した。しかしそれはまだ、サッカー人生のはじまりに過ぎなかった。もっと上へ、未知なるサッカーへ。「福岡から大阪の桃山学院大学へ、サッカーをやるために来た」。岩崎が大学を選んだ理由は、サッカー部が強いということだった。
新たな環境で戸惑うこともあったという。「高校時代はゴールをめざして縦に走り、ロングボールを狙うことが多かった。でも大学では、細かくつなぐスタイルで足もとの技術が求められ、自分にできるか不安もあった」。約150人の選手がひしめくサッカー部で、いかにしてレギュラーポジションを勝ち取るか。彼はクラブの練習時間以外も、時間の許す限り、ボールとともに走り続けた。
やがて彼はトップチームに入り、ゲームキャプテン(試合中にチームをまとめる役割)を任されるほどの信頼を得た。ポジションはサイドバック。自陣サイドでの守備を主な役割としながら、攻撃時には相手陣内へも駆け上がる。固い守備力はもちろん、スタミナやスピードも求められる重要なポジションだ。

ユニバーシアード日本代表として、優勝に貢献

日本代表として金メダル。
それでもまだ、満足はしない。

2016年、3年次に岩崎のサッカー人生にとって新たなチャンスが訪れた。全日本大学選抜チーム。日本中から招集されるメンバーとして、彼の名が挙がったのだ。選抜チームの目的は、2017年のユニバーシアード競技大会(世界の学生による総合競技大会)を見すえての強化試合を行う台湾遠征だった。「選抜チームにはすごい選手ばかり。技術はもちろん、試合へのぞむ姿勢、勝利への執念など学ぶことが多く、自分も成長できた」。しかし選抜チームでは、メンバーがつねに入れ替わる。その後の強化試合で、岩崎が招集されることはなかった。
大会の日が近づき、焦りが諦めに変わろうとしていた時、その知らせは舞いこんだ。ユニバーシアード男子サッカー日本代表に招集。「ユニフォームは日本代表と同じ色。そこに記されたIWASAKIの名を見た時の緊張感は、尋常ではなかった」。大会ではウルグアイやイタリア、メキシコといった強豪国に勝ち続けた。岩崎はサイドバックとしてスタメン出場やフル出場し、自陣を守りきった。決勝ではフランスを完封し、金メダルに輝いた。
サッカーをするために大学へ進み、選手として成長し、日本代表として世界を制した達成感はどれほど大きいのかと思いきや、岩崎には浮かれた様子はまったくない。「まだまだ先がある。まずはJリーグのチームに入ること。その先は海外リーグ、そして日本代表でもプレーしたい」。果てしなく夢が広がる岩崎にとって、ゴールはまだ先だ。トッププレーヤーとして、SAMURAI BLUEを身にまとい、世界のピッチを駆けぬけるまでは。

写真提供:全日本大学サッカー連盟

(※この内容(学年表記含む)は2017年10月取材時のものです。)