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障がい者雇用を通じて地域活性化に貢献/「人生なんてきっかけひとつ。」

青年海外協力隊のOB・OGらが途上国支援の経験をいかして地域活性化に取り組む青年海外協力協会(JOCA)に、桃山学院大学社会学部卒業と同時に飛び込んだ内本駿治さん。広島県の山間部の拠点で障がい者雇用にかかる就労支援事業所を担当し、料理の腕を活かして障がい者と一緒に手打ちそばの料理店を切り盛りしている。若い障がい者が前向きに努力し、能力を高めている姿に刺激を受け、さらなる飛躍を誓う内本さんの思いを聞いた。

◆ 社会科教員志望から転身

中学時代の卓球部の顧問で社会科の先生にあこがれ、社会科教員を目指すつもりで社会学部社会学科に入学しました。「楽そうだ」と思って入部した卓球部が実は強豪校で、先生は鬼のように厳しく、最初は大嫌いでした。中学校では喧嘩になり病院のお世話になることもありました。その時、先生は病院に付き添い、叱責したりトラブルの原因を問い詰めたりすることなく「何があったんや?」と私の気持ちに寄り添ってくれました。熱心に指導し、本当に生徒のために動いてくれる教員にあこがれるようになりました。

大学入学後、教職課程を履修していましたが、コロナ禍で教員志望が揺らぎました。教科の教育も部活の指導も全力投球する教員像を思い描いていましたが、コロナの影響で授業はリモート、部活は禁止になってしまい、自分の中で教員の魅力が下がってしまったのです。コロナ禍が収まった今なら、違っていたかもしれません。

恩師であり、またJICA海外協力隊の経験者でもある大野哲也教授(社会学科)の研究室でお話を伺いました。

◇ ゼミの実習がJOCAへの扉

教育実習の事前研修と重なってしまい、大学3年次に始まるゼミの説明会に出席できませんでした。それで関心のあったツーリズム(観光・旅行)のことを講義で話しておられた大野哲也教授の研究室を訪ねて、「まだ入れますか」とお願いしてゼミに参加させていただきました。この出会いがJOCAの仕事につながっています。

大野ゼミの扉を叩いたところから、全ては始まった(右:大野教授)

3年の夏休みのゼミ実習で、鳥取県南部町のJOCA南部で農業体験、主にナシとカキの収穫や果樹園の雑草取りなどの作業に取り組みました。大阪では感じられない地元の方の地域に対する思いの熱さに触れ、「地域おこしに関わりたい」という気持ちが高まりました。研修の最後のプレゼンで、キズやいびつな形のために廃棄されるナシやカキを有効活用することを提言したことがJOCA南部の亀山明生代表(現JOCA理事・事務局長)の印象に残ったようで、10月ごろ亀山さんから「もう一回来ない?」と声をかけていただきました。1人で再訪し、廃棄されるナシとカキを使ったスイーツの開発に挑戦しました。

高校時代から料理が好きで、大学に進学するか調理師学校に行くか迷ったほど。試作したカキのポタージュとナシのシャーベットは思ったような味にならず大失敗でしたが、今取り組んでいる料理を通じた地域おこしにつながっています。

3年次の夏に参加した、鳥取県南部町での実習。
仲間たちと汗を流しながら、南部町の自然や魅力を感じた。
(写真の右が内本さん)

◇ 料理の腕を活かして地域おこし

教員志望をやめ、料理に関わる仕事、食品開発やホテルなどを目指して就活に取り組みましたが、4年次はコロナ禍の真っただ中で、ホテルなどの採用はなくなりました。なかなか内定を得られず悩んでいた時、JOCA南部の亀山代表にメールで相談しました。亀山さんから「うちにおいでよ」と誘っていただき、即断しました。新卒採用の2次募集に応募し、採用してもらいました。元々青年海外協力隊の経験者が中心だったJOCAは7年ほど前から新卒採用も始め、毎年4、5人が採用されています。

海外協力隊経験者が中心だったJOCAも、現在は新卒採用を始めている。

配属されたJOCA×3(ジョカ・カケ・サン)は広島市の北の山間部の安芸太田町にあります。元々広島市内にあった事務所を「地域活性化に取り組むために」と移転したそうです。JOCAの理念に、「若い人からお年寄り、外国人、障がいを持ったかたなど、国籍や立場に関係なく色々なかたが集まるごちゃまぜの居場所作りの創造」があり、カフェや温泉施設も備えた拠点です。平成の大合併前の加計町(かけちょう)に所在していることもあり、拠点名は×3(カケ・サン)になっています。

私は就労支援事業所の担当で、温泉施設内で支援学校を卒業したばかりの若い障がい者を指導しながら手打ちそばの店の調理・運営を行っています。完全無農薬のそばをブータンから輸入し、毎日製粉・製麵しています。香りが強く、とても評判がいいですよ。

安芸太田町の職場で、刺身の調理に腕を振るう内本さん。
山間部ということもあり、鮮魚は重宝される。
そのため、予約を受けて特別に作ることもあるとか。

県立加計高校の寮の指定管理者もJOCAが担当しています。過疎化が進み、生徒数減少で廃校の危機にあった同校はハワイなどとの海外交流を特色とする高校として全国から受験生を集めるようになり、海外協力隊経験者が海外体験を語ることも寮生活の特色となっています。

◇ 障がい者の成長に学ぶ

支援学校の高等部を卒業した障がい者3人と、そば打ち・調理、配膳、接客に取り組んでいます。知的障がい、精神障がい、発達障がいなど色々な障がいを抱える彼らが、すごく努力して仕事を覚え、日々成長していく姿を見ることで、「人ってこんなに変われるんだ。私ももっと努力して成長したい」と刺激を受けています。いずれは夢だったラーメン店の経営をしたい、と思うようになり、ラーメン修行をしようと考えています。

日々、周囲の人たちから刺激を受けているという内本さん。
今後、挑戦したいことへの夢も膨らむ。

料理好きが高じて、高校時代からすし店などでアルバイトしていました。大学か調理師学校かで迷っていた高3のとき、バイト先の料理長から「調理師はいつでもなれる。大学に行き、4年間で人間的幅を広げた方が良い」と助言され、桃山学院大学に進学しました。大学では大野教授に出会い、地域おこしに目覚め、JOCAとの縁が出来ました。JOCA南部では亀山明生代表に認められ、JOCAに誘っていただきました。

いろんな方に背中を押されて生きています。偶然が重なったのですが、すべてタイミングが良かった。後輩学生には「何がチャンスになるかわからないので、とりあえずチャレンジしてみる」とアドバイスしたいですね。

海外協力隊のチラシ(左)にある「人生なんてきっかけひとつ。」というメッセージ。
内本さんのいまを体現している言葉のように思えた。

▼ JOCA×3(カケサン):安芸太田町

▼ JICA海外協力隊

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