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チャレンジを貫きスポーツ界で活躍

出版業界からプロスポーツ界に転身し、サッカー・Jリーグ「川崎フロンターレ」、バスケットボール・Bリーグ「アルバルク東京」の組織運営やプロモーションの最前線で活躍してきた恋塚唯さん(1993年3月経済学部卒業)は2024年、川崎フロンターレ時代の同僚と地域スポーツクラブの戦略構築・運営などを請け負う株式会社ツーウィルスポーツ(Two Wheel Sports、TWS、東京都渋谷区)を起業しました。
ほぼ10年ごとに新たな世界に踏み出してきた恋塚さんの原点は、学内外問わず取り組んだ幅広い学びや映画鑑賞、読書、ボランティア活動、アルバイトなど様々な挑戦を続け、「めちゃくちゃ有意義だった」という桃山学院大学の4年間にありました。

スポーツチームのプロモーションで活躍されてきた、恋塚さんにお話を伺いました

◇ 東京から大阪へ進学

東京都出身ですが、東京で行われた桃山学院大学の入試を受けて合格、大阪に出てきました。

大学では勉強しようと思っていましたが、好奇心旺盛な性格で学外のいろんなことに興味を奪われ単位取得に苦労しました。父がTV番組制作会社を経営していたので当時からメディアに興味があり、新聞社が開催していた編集スクールに2年間通い、趣味の映画は年間200本以上、本もたくさん読みました。YMCAのサッカースクールのコーチやボランティア活動のリーダー、アルバイトなど様々なことを経験し、それらが積み重なって今の私があると思います。新しい人間関係をつくり、いろいろな環境での人との出会いで刺激を受けました。

4年間、とても楽しかったし充実していました。チャレンジを継続していけば自ずと道が開けると経験から言えます。

◇ 出版界でキャリアをスタート

桃大卒業後は関東に戻り、出版社でスポーツ系、芸能系の書籍編集の仕事に就きました。3年程そこで働いた後、雑誌編集をやりたくて旅行系の編集プロダクションに2年、そして横浜の広告代理店で月刊のフリーペーパーの発行に関わりました。そこで当時サッカーJ2だった川崎フロンターレがJ1に昇格するまでの1年を追う連載を企画しました。

横浜には常勝の横浜マリノスもありましたが、フロンターレの方が昇格に向けたドキュメンタリーのような内容を追えるのとアットホームな雰囲気で取材しやすい環境だったので選択しました。連載だけでなく、フロンターレのオフィシャル媒体も請け負い、クラブの一員のような感覚でスポーツとクラブの関わりにどんどん引き込まれていきました。結局勝ち点1の差でJ1昇格は逃したのですが、「こんなに感情移入できる仕事があるのか」と感銘を受けたのを覚えています。

仕事に慣れてルーティンワークになってくると、違うことに挑戦する転職を繰り返してきましたが、広告代理店を辞めて父の仕事を手伝い始めた時、フロンターレから「うちに来ないか」と誘われました。

川崎フロンターレ時代の恋塚さん(中央)。
中村憲剛選手(左)、伊藤宏樹選手(右)とともに。

◇ サッカーで地域とつながる営業活動

配属された営業部ではスポンサーやパートナー企業と地域に根差した活動を企画し、常に新しいことを模索し、取り組みました。5年後にはプロモーション部に異動し、TWSを一緒に起業した天野春果と二人三脚で話題性、地域性、社会性を意識したイベントを展開しました。

プロスポーツクラブは強化(チーム)と事業が車の両輪のように回らないとうまく進みません。勝利を目指すのは当たり前ですが、それだけではファンも増えませんし、集客もできず、収益が上がりません。元々、チーム側には「自分たちは結果(勝敗)がすべて」という発想があり、プロモーション活動は二の次という文化が根強く残っていました。そのため「企業協賛を集め、ホームゲームで多くの来場があり、給料が支払われている」ということを選手に理解してもらうことを目指して、共に取り組みました。

当時の川崎は公害、ギャンブル、風俗など、どちらかと言うとマイナスのイメージが強く、多くの川崎市民はそこにコンプレックスを持っていました。また、スポーツでも川崎を本拠地としていたプロ野球の大洋やロッテ、サッカーのヴェルディが出て行ってしまい「スポーツ不毛の地」とも言われていました。そこで我々は、そんなネガティブなイメージを逆手に取って、「川崎を誇りに思える町にしたい。フロンターレは地域に根差してやっていく」と地域密着のプロモーションを展開し、地元の年間10大ニュースの1位にフロンターレの活躍が入るまでに雰囲気を変えることに成功しました。

◇ バスケットボール・Bリーグ2連覇

フロンターレで10年。「やり切った、次のステップに進みたい」と、他のスポーツにチャレンジしようと考えました。そのころ、Jリーグの初代チェアマンで日本サッカー協会会長を務めた川淵三郎さんが、Bリーグの立ち上げに関わられました。当時、日本のバスケ界はバスケットボールリーグが2つに分裂しており、FIBA(国際バスケットボール連盟)から日本バスケの強化のためにも強く統一を求められていました。私は日本バスケットボールリーグ事務局長をしながら、プロリーグBリーグ立ち上げに向け、放映権関係を担当し、Bリーグ開幕に合わせ、アルバルク東京に移りました。Bリーグという「箱」が出来たら、チームが推進していく必要があると思ったので、フロンターレとは違い東京のクラブを選びました。

当初は事業部長で入社しましたが、その後GM(ゼネラルマネジャー)も兼務するようになりました。当時のBリーグはプロ化したばかりでJリーグに比べて成熟しておらず、どのチームもプロとして発展途上だったので、環境を整えれば結果を出せると考えていました。チームビルディング、ファンに愛されるチームと選手づくりを重視し、Bリーグ2連覇、アジアチャンピオンにも輝きました。

アルバルク東京では、2連覇を達成(田中大貴選手と)。
優勝に向け、共に戦ってきたアルバルク東京のルカHCと。

◇ スポーツビジネスで起業

サッカーで10年、バスケットボールで10年の経験を積み、クラブではできないスポーツの可能性を開拓していきたいと、フロンターレでいっしょに働いた天野と私、同じくフロンターレでスポーツ施設管理運営を担当した谷田部然輝の3人で、起業することにしました。

わが国のスポーツは企業スポーツが主体で発展してきましたが、地域に根差し、地域の人たちの心と体を豊かにするスポーツには伸びしろ、可能性があると思っています。私たち3人の経験を活かし、様々なスポーツ競技のコンサルティングやクラブ・チームの運営や事業請負、スポーツイベントの運営、スポーツを通じた地域貢献、企業のスポーツ事業推進などをサポートしています。現在、弊社でサッカー漫画「キャプテン翼」の原作者の髙橋陽一さんがオーナーのサッカークラブ「南葛SC」と契約するなど順調で、初年度から黒字化できそうです。

TWSのメンバー(左から:恋塚さん、天野さん、谷田部さん)

◇ スポーツの感動を

長年スポーツに関わってきた中で、もっとも印象に残っているのは、2011年の東日本大震災後のベガルタ仙台とのゲームです。3月11日の発災後、リーグ戦は中断されました。4月23日の中断明けの再開初戦、川崎のホーム等々力陸上競技場にベガルタ仙台を迎えました。仙台のサポーターの中には、「避難所からきた」という人もいましたし、仙台のサポーター同士が震災後初めて顔を合わせて無事を確認する姿もありました。

試合前の前座試合で、フロンターレのサポーターが復興応援の寄せ書きをした大きな横断幕をベガルタ仙台のサポーターに前座試合に参加した著名人やOB選手達が手渡しました。受け取った仙台サポーター達が涙を流しながらフロンターレにエールを返していました。私は仕事中でしたので涙をこらえましたが、「これがスポーツの存在意義じゃないかな」と心打たれたのを覚えています。ライフラインが途絶しているとき、娯楽であるスポーツは無力だと感じていましたが、僕らが出来る復興支援活動があると思えました。

被災地で教材が不足していると聞いて、その試合直後の4月25日にフロンターレが作っていた算数ドリルを被災地の陸前高田市に届けました。その時一緒に陸前高田に行った3人がTWSの創業メンバーです。
人を繋ぐことができるのがスポーツの意義。それが私たちの原点です。

2024/6/29に等々力球場で行われた「かわさき100フェス」で、ブルーインパルスをバックに。
(左から)谷田部さん、恋塚さん、天野さん、鈴木さんのTWSスタッフと、中村憲剛さん。

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